こんにちは。荷物運び用荷物(@nimotsu_hakobi)です。
今回は、東京都美術館で開催されている「没後70年 吉田博展」に行ってきました!
今までは明治以降の美術作品にあまり興味がありませんでした。そもそも歴史が好きだったので、時代背景とかをセットで知るのが好きだっただけというか。最近は美術作品そのものの美しさとか心がときめくかとか、そういうことにも感心を持ち始めました。
昨年、川瀬巴水の絵をうっとりと眺めていた時期があり、明治以降の版画に興味を持ちました。そんな中で、ちょうどよく吉田博展が開幕したのでした。
目次
「没後70年 吉田博展」ってどんな展覧会?
「没後70年 吉田博展」は、現在上野の東京都美術館で開催されている特別展です。
予約は必要?
予約は可能ですが、していなくても入場することができます。
入場前にオンラインチケットを購入することもできます。公式HPでは、オンラインチケットの購入を推奨しているということもなく、どちらでも良さそうです。
「没後70年 吉田博展」の特徴
世界を魅了した日本の木版画があります。洋画家としての素養を持ちながら版画家として新たな境地を切り開いた吉田博(1876~1950年)の木版画です。本展は、吉田博の没後70年にあたる節目に、後半生の大仕事として制作された木版画を一挙公開します。
(出典元:「没後70年 吉田博展」公式サイト)
版画家・吉田博の後半の人生を追体験できるような展覧会でした。
「没後70年 吉田博展」鑑賞レポート!
それでは、吉田博の版画の世界へと入っていきましょう。この後は、作品を観て感じたことを率直に書いていきます。これから観に行くけどネタバレは見たくない!という方はこちらでお帰りください。
※専門家ではないので、必ずしも正しいことを言っていない場合があります。
プロローグ
吉田博は、明治から昭和にかけての風景画の第一人者です。当時としては珍しく、若い頃から何度か海外体験がありました。その経験を活かし、西洋画の微妙な陰影を版画で表現することに挑戦しました。元々木版画の画家だったわけではなく、49歳から制作を始めたそうです。版画で名を馳せたにしては、遅咲きじゃないですか? プロローグの章では、木版画を制作するようになる前の作品を見ることができます。
- 「朝霧」/明治時代 1901-03年
本展の一枚目です。湿った空気がよく表現されています。
- 「新月」/明治時代 1907年
文展で3等賞を取り、文部省が買い上げた作品。暗がりの中で漁村に灯るあかりが暖かく、印象に残りました。
- 「渓流」/明治時代 1910年
岩肌や水の流れが、まるで本物のように浮かび上がります。あえて奥行きを表現していないそう。水や岩の表情を正確に捉えているのがよくわかります。
- 「穂高山」/大正時代 制作年不明
吉田は穂高山が好きで、次男に穂高と名付けるほどだったそうです。標高の高い場所からの、登山して実際に見てみないとわからない景色です。そういえば、山の上からちゃんと描かれた絵ってなかなか見ることがない、珍しいな……とここで気が付きました。
- 「明治神宮の神苑 (渡邊版)」/大正時代 1920年
明治神宮の完成を記念して、募金者に配ったという木版画初作品。初めてでこのレベル……。ここから、木版画を制作する第二の人生が始まります。
第1章 それはアメリカから始まった
吉田は関東大震災で、多くの作品を失いました。お金が要るため、渡米して自身の作品を販売することに。しかし、油絵は全く売れず、現地で売れたのは木版画ばかり。そこで吉田は木版画を作るようになりました。吉田は外国経験もありましたから、アメリカの状況をよく見ていたようです。
- 「グランドキャニオン (米国シリーズ)」/大正時代 1925年
吉田はグランドキャニオンに圧倒され、9日間も滞在したそうです。いろんな層・面によって、光の当たり方と影の付き方が研究されていますね。
- 「ナイヤガラ瀑布 (米国シリーズ)」/大正時代 1925年
滝の波飛沫の躍動感がすごいですが、絵の中では浮いてしまっているようにも見えました。
- 「ルガノ町 (欧州シリーズ)」/大正時代 1925年
絵の中のいろんなオレンジ色が特別な世界のようで、魅了されてしまいました。魔女の宅急便に登場する街のような色合いです。
- 「ヴェニスの運河 (欧州シリーズ)」/大正時代 1925年
ヴェネツィアのゴンドラと街の建物が描かれています。ゴンドラはまるで、江戸の猪木舟のようです。水上交通という側面では江戸っぽさがあるので、案外すらすら制作できたのではないでしょうか。
どの景色も、昼と夜で2種類制作したようです。同じ景色を、いろんな気候・時間条件で再構築するのは版画ならではといえます。
第2章 奇跡の1926年
何が奇跡なのか? これは、41点作成したことで、人生で最も多作の年だったようです。月3点以上制作していると考えると、確かにハイペース……。版画だと、そもそもそんなに多くは作れないでしょうね。
この章では、同じ板木を使うけど色を変える「別摺(べつずり)」という手法で制作された作品を見ることができます。光、大気、湿度の表現を変えるべく、平均して30回以上は摺ったようです。同じ下書きを使って、描いた景色の時間帯を変えて色を変えるというのは、版画ならではの特性を生かした表現方法ですね。
- 「光る海 (瀬戸内海集)」/大正時代 1926年
あのダイアナ妃が執務室に飾っていた2枚のうちの一枚。色彩や絵の内容からは、モネの「印象、日の出」のような印象を受けます。
- 「帆船 朝/午前/午後/霧/夕/夜 (瀬戸内海集)」/大正時代 1926年
時間帯や気候条件ごとに書き分けた連作です。水平線の見え方や、空気感に違いがあります。水面で変化する光と影をすごくよく観察しているのが伝わります。
第3章 特大版への挑戦
- 「雲海 鳳凰山」/昭和時代 1928年
筋斗雲のような、しゅるんとした誇張された雲が可愛いです。この光景も、登山してみないと見ることができませんね。
- 「朝日 (冨士拾景)」/大正時代 1926年
なんと版木が展示されていました!彫り師の技術が光ります。絵の線に当たる部分を、本当に綺麗に残していました。
摺り上がった絵の富士山は美しくて、大袈裟かもしれませんが本物のように見えました。後ろの夕焼け(朝日?)や冠雪の影の当たり方から、信仰され続ける山の風格を感じ取れました。
第4章 富士を描く
山好きなので、やっぱり富士山も好きみたいです。葛飾北斎も愛した富士山を、吉田は様々な場所から捉えています。
- 「御来光 (冨士拾景)」/昭和時代 1928年
登山家ならではのショット!山頂からの景色です。富士山の絵は引きで見るイメージが強いので、あまり見ることのない内側から見る富士山に心惹かれました。
- 「山頂劔々峯 (冨士拾景)」/昭和時代 1928年
一件よくわからないような絵ですが、下にちょっと見えるもやのかかった様子から、この地点がどれだけ高いかを窺い知ることができます。
- 「三保」/昭和時代 1935年
三保からの富士山がすごく美しいことを知って行ったことがあるのですが、曇っていて見えなかった記憶が蘇りました。どうでもいい話です。
吉田は、初期の頃はホイッスラーに傾倒していたそうです。しかし次第に西洋の人間中心主義とは距離を置き、自然を崇拝することを大事にする「東洋的な美意識」を意識するようになったそうです。世界を知ったからこそ、東洋的な考え方の良さに気がつくことができた素晴らしい例ですね。ちなみに、ホイッスラーを意識した作品もいくつか展示されていました。
第5章 東京を描く
- 「神樂坂通 雨後の夜 (東京拾二題)」/昭和時代 1929年
3章からは、街や人のいる光景も増えてきます。こちらの作品は、神楽坂の濡れた石畳が美しく表現されています。
- 「上野公園」/昭和時代 1938年
手前上の桜がびっしり細かく書き込まれているので、想像しているよりもっと手前に桜があるのかも?
「太平洋画会」という吉田らの画家グループがあったそうなのですが、第一回展の開催施設は現在、なんとここ「東京都美術館」なんだそうです!ここで開催すべくして開催された展覧会だったのですね。
街の作品のエリアになってから気が付きましたが、人物はあまり上手くはないように見えます。
第6章 親密な景色:人や花鳥へのまなざし
- 「きばたん あうむ (動物園)」/大正時代 1926年
ここでは、空摺(からずり)の技法が使われています。空摺とは、色をつけずに強く摺ることで紙に凹凸ができる、今でいうエンボス加工のようなものです。おうむの羽のふわっとした質感を表しています。おうむのふわっと感を出すのに最適な手段なのか、私には微妙に思えましたが……。
第7章 日本各地の風景Ⅰ 1926-1930
絵の感想は飛ばしますが、2ヶ月もの間、船頭と料理人付きの船をチャーターして旅に出かけたというようなエピソードがありました。とりあえず吉田がこの時点ですごくお金があったことは伝わりました。
第8章 印度と東南アジア
- 「フワテプールシクリ (印度と東南アジア)」/昭和時代 1931年
イスラム建築の建物の中に漏れる乱反射した光を、精緻な観察眼によってリアルに捉えています。
- 「アムリッサー (印度と東南アジア)」/昭和時代 1931年
おそらく、この作品も白い建物の窓の表現方法として、空摺(からずり)が使われています。説明がなかったので、違ったらすみません!
第9章 日本各地の風景Ⅱ 1933-1935
下落合に新居を構えた吉田の、日本の風景を描く旅は続きます。
- 「金閣 (関西)」/昭和時代 1933年
金色に見えなかったので、銀閣かしらと思いました。1933年時点では、金閣は金色ではなかった? と思って調べたところ、1950年7月2日に放火されて焼失するまでは、全然金色ではなかったようです。
- 「京都之夜(関西)」/昭和時代 1933年
神楽坂に続き、こちらも雨上がりの石畳です。
- 「猿沢池(関西)」/昭和時代 1933年
ダイアナ妃が飾っていた、もう一つの作品です。なんだか雑な印象を受けたのは私だけ?汗
- 「奈良の夕(関西)」/昭和時代 1933年
夕方の時間帯の中でも、夜に最も近い夕方というか、夕方の終わりの暗さを感じます。この絵を見たとき、「あーこういう暗さの時間帯あるよね!あの時間ね!」と強く思いました。描かれているものを見て鑑賞者がそれを思い出し、絵の中の世界の感覚がその瞬間体に湧き上がるような体験。ときに吉田の作品からは、そんな体験をすることができます。
- 「樓門 (櫻八題)」/昭和時代 1935年
旧漢字ですが、「ろうもん」と読みます。絵の中に収まりきらない知恩院の門のデカさが伝わってきて凄くいいなーと思いました!
第10章 外地を歩く、大陸を描く
関係が本格的に悪化する少し前には、韓国にも行っていたようです。
第11章 日本各地の風景Ⅲ 1937-1941
第二次世界大戦中、自国の美点を再評価する風潮に影響されているのか、国内の文化財や景色を取り上げることが増えたそうです。そもそも海外に行けないので仕方ない気もしますが、そうだとすると、戦争は一表現者のものの見方・思考を歪めてしまうということですから、与える影響があまりに強大で恐ろしいことだなと思いました。
- 「杉並木」/昭和時代 1937年
日光の杉並木で合っていますかね? 舗装されておらず、よっぽど足場が悪かったに違いないと思って画中の人物の大変さに思いを馳せました。
- 「陽明門」/昭和時代 1937年
これはすごい!!細かすぎます。陽明門は一つひとつの装飾・工芸がすごく細かいし色んな色が使われているんですよね。なんと摺った回数、96回。現地で陽明門を見ただけでも芸の細かさに気が遠くなったのを覚えていますから、制作を決めた覚悟がかっこいい!私も挑戦する気持ちを忘れてはいけないなと思いました。
エピローグ
- 「農家」/昭和時代 1946年
戦後に描いた最後の作品がこちらです。農家の古びた暗い土間。
吉田は後々版画で世界百景を作るという野望があったそうですが、果たせませんでした。
他国との戦争も新型コロナウイルスの流行も、海外と関わる我々の貴重な体験の機会を奪いました。私はこれを見たとき、とても他人事とは思えませんでした。「農家」は、旅行系YouTuberが家で撮った動画ばかりアップしているのと状況は同じだと思います。やりたいことを表現する機会を奪われたときにどうすればよいのか、考えさせられました。
グッズ
私が訪問したときには、図録、ポストカード、クリアファイル、塗り絵セット、マスクケース、ノート、マグネット、かりんとうのお菓子、トートバッグ、Tシャツ、風呂敷がありました。家での時間を過ごすのにこの時期に塗り絵があったのはなるほど!と思いました。
私はクリアファイルとポストカードを購入しました。今見返してみると、「いや山の作品を買えよ」という感じですね。
「【訪問レポート】「没後70年 吉田博展」吉田博は山を愛する世界的な版画家だった【感想】」のまとめ
すごく完結にまとめますと、
- 世界的に知名度のある、日本を代表する版画家
- 山をはじめとする自然を愛する
- 光の見え方を非常によく研究している
- 戦争によって、後半は世界各地を巡る機会を失っている(と私は考えている)
以上が吉田博のポイントかなと思います。
これから行かれる方には、やはり「山」を描いた作品をしっかり鑑賞してほしいです!
一見すると制限の多そうな表現手法である版画で、吉田博は独自の世界を見せてくれました。
浮世絵、風景画、版画、印象派が好きな人には是非見ていただきたい展覧会です!
参考サイト
・没後70年 吉田博展(https://yoshida-exhn.jp/)
・https://www.hozugawakudari.jp/blog/金閣寺が焼失して60年