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【見どころ満載】大阪歴史博物館の常設展を見学しました【大阪城を一望できる】

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こんにちは。荷物運び用荷物(@nimotsu_hakobi)です。

今回は、大阪歴史博物館の常設展を見学してきました!

私は博物館好きで、旅行先で見つけたときは寄るようにしているのですが、大阪歴史博物館は名前を知ってはいながら、なかなか行けていませんでした。今回、念願の訪問です!

目次

「大阪歴史博物館」ってなに?

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私も全く知らなかったのですが、HPによるとこんな博物館でした。

大阪歴史博物館は、大阪市の「難波宮跡と大阪城公園の連続一体化構想」の一環として、大阪市中央体育館跡地に移転となったNHK大阪放送局の新放送会館との複合施設として、大阪市と日本放送協会との共同で建設されました。

大阪歴史博物館は、「大阪市立新博物館」と「考古資料センター」双方の構想を統合して建設されました。

「大阪歴史博物館」は大阪市とNHKが作った、大阪の歴史を学ぶことができる博物館です。東京にある江戸東京博物館の大阪版ですね。展示が5フロア分ある、なかなか見ごたえのある博物館です。歴史好きは必見です。

アクセス

  • Osaka Metro谷町線・中央線「谷町四丁目」駅2号・9号出口
  • 大阪シティバス「馬場町」バス停前

新幹線の止まる新大阪駅からは、20分あれば着きます。

 

館内を紹介

それでは、早速紹介していきます。

 

館内ルール

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展示の順路ですが、まずエレベーターで10階まで行き、そこから一階ずつ降りてくることになります。10階といっても全ての階に展示があるわけではなく、常設展示はそのうちの10、9、8、7階にあります。

8階は常設のおまけ的な特集展示と、考古学という学問についての子ども向けの展示。6階は企画展示です。その他の階は研修室や講堂など、展示室以外の部屋です。

また、館内での写真撮影は基本OK(一部例外あり)、フラッシュ撮影や三脚は禁止。飲食も禁止です。

 

高床倉庫

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建物に入る前に気になるのが、この高床倉庫。

5世紀頃、このあたりは大陸との交通に重要な川の近くだったことから、16棟以上の高床倉庫が並んでいたそうです。こちらはそのうちの一つを復元したもの。

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6〜7世紀には、さらに建物が増えて一つの大きな都市になっていったようです。大阪は長い歴史の中で、現在まで継続して繁栄を続けてきたのですね〜。そして文明の発展には、やはり川が重要みたいです。

そんな水上交通の要としても賑わっていた難波ですが、古代のムラの遺跡がなんばパークスのすぐ近くで発見されているそうです。「船出遺跡」といって、浪速区のなんばパークスのすぐそこの南側の地域を発掘してみたら、ムラの痕跡が発掘されたんだそう。出土したものには須恵器や土師器、朝鮮半島から渡ってきた土器もあり、海上交通が盛んな地域だったことがわかります。また、このあたりには中国や朝鮮から僧侶や技術者が招かれ、寺がたくさん作られていきました。


10階 儀式真っ最中の宮殿に潜入!古代フロア「発見!難波宮大極殿」

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エントランスホールからエレベーターで一気に10階へ。そこはもう奈良時代の難波宮の大極殿です。

原寸大に復元した空間では、直径70センチもある朱塗りの円柱が立ち並び、官人たちが整列。大スクリーンでは宮廷の儀式のようすをわかりやすくご紹介します。

想像したこともない古代の世界へタイムスリップしてください。

エレベーターで上の階まで一気に上がります。タイムスリップの最中のような音楽が流れるので、ワクワクします。録音された女性の明るい声で10階についての説明のアナウンスが流れ…そうな雰囲気だったので気持ち待機していましたが、特に何も流れませんでした。

エレベーターを降りると、まずは映像展示!映像に単語が映し出されるのみの説明が、逆にごちゃごちゃしていなくてすごくわかりやすい。歴史に興味がない人や、外国人観光客への配慮なのでしょうか?「大坂夏の陣」「戊辰戦争」など、これまでに大阪で起こった大きな出来事が紹介されます。

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ここからは、古代の大阪についての展示が始まります。大阪が都だった時期の話です!

同じ頃の世界の都市で有名なのは、グアテマラにあるマヤ文明で最大規模の都市・ティカル。東京ディズニーシーのエリア「ロストリバーデルタ」のモデルになったであろう都市です。また、かつての東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルなども同じ時期の都市です。コンスタンティノープルは、トルコの首都・イスタンブールの前身です。

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10階の目玉は、宮殿の再現!

エレベーターを経て、時空を超えてしまいましたね。

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7C中頃、都が飛鳥から難波に遷都されました。しかし、難波宮は40年くらいで全て焼失してしまったそうです。それから40年後、再度宮殿を再建しました。難波宮で最も大きな建物が、「大極殿(だいごくでん)」といいます。今いるこの建物がそうですね。後期の再建されたもので、広さは42m×21mあるそうです。当時としてはすごく大きな建物だったでしょうね。

儀式中の設定なのか、女官たちの人形がたくさん立っています。
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この二人組の女性は、「威儀命婦(いぎのみょうぶ)」といいます。命婦とは、天皇の近くに仕える上級の女官を指します。天皇が高御座(たかみくら)という玉座に座るとき、決まりに則った作法をするそうです。その作法がなんなのかは知りませんが……。また、彼女たちの着ている服は「礼服(らいふく)」といい、重要な儀式で使われるようです。色使いは結構可愛くないですか?
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女性の化粧は、現代との違いが分かりやすいポイントです。威儀命婦(いぎのみょうぶ)で言えば、眉間に4つの赤い点、眉毛は薄め、口紅は中心にちょこんと乗せるだけ。儀式用の化粧なのか、普段から威儀命婦(いぎのみょうぶ)なら必ずこの化粧と決まっているのかは調べていないのでわかりませんが、今と比べてアイメイクは重要視されていないようです。

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続いて、「奉翳女嬬(はとりのにょじゅ)」という女性たち。女嬬(にょじゅ)とは、宮廷で実際に業務をこなしていた女官の方を指します。天皇の玉座である高御座(たかみくら)に現れた天皇の姿を隠すため、大極殿の左右に分かれて翳(さしば)を掲げました。みんながそれぞれ持っている、デカくて丸いやつですね。左右各9名、計18名で行うそうです。

彼女らもこの儀式は「礼服(らいふく)」で臨みますが、この展示では礼服以外の服装も訪問客に見せるため、「朝服」という当時ではより実用的な服装をしています。袖の部分、手が見えないのが可愛い。

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こっちの女性の額の点は緑です。
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窓の外には、大極殿(だいごくでん)があったとされる場所が見えます。

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パネルで当時の見え方を紹介してくれているので、脳内復元をしてみましょう。規模感がつかめますね。
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後期難波宮について、解説パネルにあったことを少し紹介します。後期難波宮は、前期難波宮の跡地に再建された、奈良時代の宮殿です。726年に造営が開始されました。いくつか部屋があって、大極殿(だいごくでん)は貴賓室、朝堂院は会議室、内裏はおうち、というようなイメージです。

京都に一瞬存在した長岡宮は、後期難波宮と構造がよく似ていて、難波宮の瓦も多く見つかっています。難波から運ばれて、移築されていたのですね。

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建物についても少し。外国使節を招いたり、政策を決めたりする建物は中国風だったようです。具体的には建物の建て方、屋根、赤い柱などが中国風であるといえます。一方で天皇の住まいがある内裏は、柱を彩色していなかったりと日本風だったようです。暮らす場所は自分の生活に合うように、外交の関連施設では相手の文化に合わせるようにしていたのですね。当時は中国の力が強いですから、当然といえば当然ですが。
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鴟尾(しび)とは、宮殿や寺院の中でも特に主要な建物の屋根の両端についている飾りです。鴟尾(しび)とは、名古屋城でいうしゃちほこの部分にくる飾りのことですね。瓦でできたものが多かったようです。柄は葡萄柄!「葡萄唐草」文というそうです。この時代には既に葡萄が日本にもあったことがわかります。館内では、復元模型が展示されていました。

ちなみに、古事記には既に「葡萄」が登場するらしいです(山本博『ワインの世界史』より)。

 

9階 今も昔もにぎやかな大阪の町!中世近世フロア「探検!水都の町並みぐるっとめぐり」

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エスカレーターで9階に降りると、信長と戦った本願寺の時代の大阪に到着。さらに、天下の台所の時代 では文楽人形「浪花屋」を水先案内人に、水都の景色を楽しんでください。

1/20のミニチュア模型では町の賑わいを再現。活気あふれるなにわの町人たちの暮らしが、いきいきとくりひろげられます。

展示室に入ると、雅楽のような音楽が聴こえました。この階からは中世のはずなので、もしかしたら上の階から聴こえているのかもしれません。

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こちらはミニチュアで作った、堺の街並み。1568年9月頃の町を再現しています。どうやら宣教師らしき二人組が歩いていますね。西洋人がこの時期にいるイメージはなかったです。

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解説パネルによれば、「街の不潔さを、ネズミを追いかける子どもで表現している」らしいのですが、ミニチュアのねずみが小さすぎて全く見えません。その場で撮影して、写真を拡大して、やっと目で確認できました。こんな、誰も肉眼では確認できないところまで……製作者のこだわりが伝わってきます。
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「おおさか」の書き方についても触れていました。500~400年前までは、色々な表記の仕方があったようですね。特に、漢字は「坂」が使われていました。高校の日本史の先生が、「土に返る」ようで縁起が悪いから「阪」に変更した、と聞いたことがあります。 
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活気あふれる大阪の町が広がっています。浮世絵の世界に迷い込んでしまったようです。しかも、流れてくる解説アナウンスは関西弁!
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当時は船が大活躍していたことがわかります。諸国から届いた物資は小さな船に積み替えられて、市中に運ばれたそうです。川沿いには船宿が立ち並びました。おそらく、本当にイタリアのヴェネツィアのような水上都市だったのでしょう。
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ここでは、実際に存在した「安治川橋」という橋を再現しています。縮尺は2.7分の1。
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屋敷の模型があったので見てみると、広島藩の蔵屋敷の模型でした。池に浮かんだ鳥居を見るに、プチ厳島神社が敷地内に作られていたようですね!池を眺めながら、藩のスタッフは故郷を懐かしんでいたのでしょうか。
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のぞきからくりがあったので中を覗き込みたかったのですが、感染防止対策のため見ることができず……。江戸時代後期からなんと第二次世界大戦頃まで、よく縁日なんかで見ることができたそうです!
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休憩ベンチが畳。世界観を守るという配慮があります。
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こちらは革靴!意外としっかりした作りです。
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動物の皮を取り扱っていたのは、非差別部落の村だったという話です。生き物の死に関わる職業だからでしょうか。
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こちらは祭りの山車!「だんじり」といいます。木彫りの技がすごいので、是非近寄って見てみてください。
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人形劇で使用された人形の頭部のパーツがたくさん!人形劇、ちょっと見てみたいですね。人形劇自体は、近世の初め頃には既にあったそうです。浄瑠璃と、三味線と、操り人形を使った劇が上演されていたようですね。その後、人形劇のヒットメーカーである近松門左衛門や竹本義太夫が現れ、ストーリーや音楽がレベルアップしていきました。一時期は歌舞伎くらい人気があったことも!
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これも何かの体験ができたようなのですが、休止中でした……。

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 大阪は経済発展により、町人が主導した文化も発展していきました。町人自身が芸術活動を行ったり、学者やアーティストの援助をしたのです。政治の中心から離れていたことで、自由に文化活動ができたことは大阪の特徴の一つと言えるでしょう。徳川家のおひざ元では、まずいものはすぐに見つかってしまうでしょうからね……。
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この絵を目の前にするだけで圧倒される、トラの掛け軸です。中国の画家の絵を見て描かれた作品だそうです。実際のトラと比べて、体に対しての顔が小さすぎますよね。

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これは私が前に描いたトラですが、本当はもっと顔が大きいし、鼻も大きいはずです。とにかくバランスが悪くて違和感がすごいのですが、この作品の空気感というのか迫力というのか……一目見たときはゾワっとしました。絵はいかに見たままを描くのかというよりは、いかに記憶に残るかを考えることが大事みたいです。


8階 考古学に触れる(展示品少なめ)「歴史を掘るフロア 冒険!実物大の発掘現場」

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なにわ考古研究所へようこそ。原寸大に再現した発掘現場で、調査方法や遺構・遺物の見かたを学ぶことができます。いろんな道具や資料を使って本番さながらのワークショップも開催実施します。

実物を見て触れる考古学の体験空間で、須古所長といっしょに研究を始めましょう。

毛色が少し変わって、この階では考古学の勉強です。

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発掘現場のリアルがよくわかる展示になっています。
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子ども向けに作られていますが、考古学のことをほとんどの人は知らないでしょうから、大人が読んでも楽しく学べると思います。本を開いた形になっているのも「プーさんのハニーハント」みたいで可愛いです。
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奥は特集展示のコーナーになっています。追加料金がかかるようなタイプの展示ではないようです。今回は時間がなく、見ることができませんでした。
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壁側には、白い世界が広がっています。こちらは考古学エリアとは別で、常設展示の続きです。
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 御堂筋(みどうすじ)とは、元々淡路町から長堀川までの5.4mの道路だったそうです。それを43.6mに広げて、最後には梅田から難波まで続く長い道路になりました。初めに作られ始めたのは大正15年(1926年)でしたが、最終的に梅田-難波まで開通したのは昭和12年(1937年)!昭和恐慌があって財政状況が悪かったりと、困難を乗り越えてやっと完成したのです。地下鉄・御堂筋線もそこから来ていたのですね。北海道育ち東京住みなので、全く知りませんでした。

ていうか、このエリアだけなんで白いんだろう。

 

7階 写真を撮るならここ!近代現代フロア「経験!等身大のリアルな街のパノラマ」

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10階からつづく時空の旅は、7階で終着へ。いまもその香りが残っている懐かしい大阪との出会いがまっています。

大正末期~昭和初期にひときわにぎわった心斎橋筋、道頓堀などの街角を、大きさ、雰囲気そのままにきりとってリアルに再現。当時の記録映像とともに繁栄するモダン都市・大阪の街を歩くことができます。

さあ、現代に近付いてきましたよ。この辺から帰りの飛行機の時間が近づいてきた私は、見学がかなり駆け足になっています。取材が足りていないので、もっと詳しく知りたかった方には申し訳ない気持ちです。

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7階の展示はこの扉からスタートします。
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説明のパネルによれば、近代の大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、またその時代は「大大阪の時代」と呼ばれているそうです。誰が呼んでいるんだろう。
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なんとここは、昭和9年(1934年)の淀屋橋駅ホームと、心斎橋行きの地下鉄車両を再現しているそうです!私は大阪エリアの営業担当をしていたことがあり、現在の大阪がイメージできるだけにわくわくする再現展示でした。
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かつては町の至るところにあったという、お地蔵さんとその祠(ほこら)の復元。今はなかなか見かけないですよね。

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画質悪すぎますが、イタリア・ローマの郊外でこんな祠(ほこら)を見かけたことがあります。役割としては、これと同じようなものでしょうね。本当は日本の祠(ほこら)を例に出したかったのですが、写真がなかったです。わざわざ撮らないからね。
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日本初の公衆電話は、明治33年(1900年)に誕生しました。当時の通話料金は3分で10銭です!安いのか高いのかわからん!
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復元されたものは白いですが、本物も白かったのでしょうか?こんなに白いとすぐ汚れそう……。

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賑やかな街に進んでいきます。わー博物館の中にこんな場所があるなんて!楽しそう~!テーマパークが好きなので、こういう街並みが再現された展示が大好きなんです。
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元気な関西弁で客引きしていそうな八百屋のおじさん。

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ここは公設市場といって、ただの商店街ではありません。市民に生活必需品を安定的に供給するために作られた、公営の市場です。大正時代の末頃には、大阪市内に53か所もあったようです。日本も最近までは本当に貧しい国だったのだな、とつくづく思います。
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町工場の様子。
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当時の家での暮らしも知ることができます。
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「心(しん)ぶら」ってご存知ですか?東京の「銀ぶら」のようなもので、銀座と同じように心斎橋には高級品や流行品を扱う名店が並んでいたそうです。心斎橋から戎橋(えびすばし※グリコの看板のところ)まで、700mくらい。今はもう少し若者向けのお店が多い気がしますが、私が詳しくないだけでしょうか。そして大丸心斎橋店などはその名残でしょうね。
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郊外住宅の再現。裕福そう。
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道頓堀は劇場の街、千日前は大衆娯楽の街と、近くには文化的な施設の集まるエリアもありました。
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昭和45年(1970年)の大阪万博のパンフレットたちです!万博に一度は行ってみたいです。まだ小学生くらいでしたが、愛知の万博に行けなかった後悔は一生付きまといそうです。
3月~9月まで、今のエキスポシティがある場所で開催された大阪万博は、6421万人が訪れました。私も行きたかった(1995年生まれ)。テーマは「人類の進歩と調和」で、この万博の空気感はマンガ『20世紀少年』を読むとなんとなくわかります。

ちなみに、ここの解説パネルには是非注目してほしいです!なぜなら、ここの展示を担当した学芸員さんが実際に大阪万博に訪れていて、短く体験談を寄せているのです。「月の石」が大人気だったらしいのですが、あまりに混んでいて見ることができなかったそうですよ。
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戦争に関する展示も。大阪でも大空襲が50回以上ありました。大空襲とは、爆撃機百機以上による空襲のことをいうそうです。
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最後にこちらが、今回見た中で最も怖い展示作品でした。怖すぎ。

 

■ショップ・レストラン他

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食事するレストラン…カフェのような場所はあったので、食事には困りません。

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いい感じの洋食がいただけるみたいです。

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また、図書館?資料室?もあります。調べものをする場合に使うことができますね。

 

景色

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見学の際はまず10階に上がって、そこから降りてくる順路になっていますが、その途中で大阪城を見下ろすことができます。
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工事のクレーンが写り込んでしまっていますが、なかなかのいい眺めですよ。
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パネルで景色の説明もしてくれています。親切!

大阪城も昔行ったきりなので、今度見学してみようと思います。

 

「【見どころ満載】大阪歴史博物館の常設展を見学しました【大阪城を一望できる】」のまとめ

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今回の見学の感想を以下にまとめました。

  • 再現コーナーはタイムスリップしたような感覚を味わえる(近代・現代フロアは歴史に興味がなくてもおすすめ)
  • 充実の展示(展示量が多い)
  • 学芸員さんの熱量と気づかいを感じる(基本的に解説パネルがわかりやすく、伝わりやすい言葉選びをしている)
  • 大阪城と難波宮跡を見ることができる(復元と実際の場所を見比べることができる)

 大阪歴史博物館は、歴史に興味がある人にはもちろんのこと、興味がない人にも特に再現展示はおすすめです。入場料も高くないので、暇つぶしがてら行ってみるのも良いですよ!

 

(訪問日:2021年4月18日) 

 

面白かった旅行先の刊行スポットなどをまとめていますので、良かったらあわせて見てみてください。↓

www.nimotsu-hakoblog.com

 

 博物館・美術館の記事も気が向いたら書いているので、そちらもどうぞ。

 

参考サイト・文献

ようこそ!大阪歴史博物館へ

 ・山本博『ワインの世界史』2018年3月 日本経済新聞出版社

 

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